ブンブン Hello World!!
記事のタイトルやサムネ画像で、もうお分かりだと思うが・・・
読者数が200人を突破した!!!
あえて旧ブログで積み上げた800以上もの記事を置いて来て、新ブログを立ち上げてから僅か3ヶ月でだ。
愛されてるとは限らないけど...
そこで今回は、このブログでたちまち見かけるワードであろう「リマスター記事」について、これまで説明してなかったので説明したいと思う。
「リマスター記事」とはなんぞや?
「リマスター記事」とは、端的にいえば・・・
記事を再編集して再度投稿することを僕なりに言い替えただけ
である。
それだけかよ
前のブログなどで過去に投稿した記事を、 再構成&文章の再推敲等を行い、この新ブログに再投稿する。
それをゲームや音楽のマスタリング作業になぞらえて、僕が勝手に「リマスター」と呼んでいる。
なぜ記事をリマスターするのか、インスパイア元
しかし記事は、一度書けば半永久的にアクセスが見込まれるため、わざわざ書き直したりする必要はない。むしろ無駄だ。
それなのになぜ、なけなしの時間を割いて記事のリマスター作業を行っているのか。
それは、過去の資産を”今の資産にアップデート”するため。
インスパイアを受けたのは、ガイナックス設立者にしてオタキングこと岡田斗司夫さんが提唱している「動画資本論」。
なかなか興味深くて面白いので、気になった人は自分でYouTubeで検索をかけて動画を見てもらいたい。
この動画資本論とは、簡単にいえば過去の動画に現在の情報や喋りを加えて、今の動画として再投稿するというもの。
動画ひとつひとつを”資本”として考えている。
TVの再放送と同様のものと捉えてもらえれば構わないが、これには旬な時期がある”時事ネタ”は通用しない。
”普遍的な面白さ”でないと再利用ができないという欠点がある。
ブログで例えるなら、現在話題沸騰中のニュースを取り上げるトレンドに便乗した記事には普遍的な要素はないが、ゲームの攻略記事やアニメのレビュー記事には普遍的な要素が詰まっている。
要は、いつ見ても変わらない情報価値と面白さがあるかどうかだ。
前者は瞬間最大風速的なPVしか狙えないが、後者は一定のPVを狙える。その違いだ。
そんな「動画資本論」をブログ運営に落とし込んでみたのが、この「リマスター記事」である。
「じゃあ記事を上書き更新すればいいじゃないか」
そういった意見もあるだろう。確かにその方が手間も省けてスマートだ。
しかし、上書き更新をするだけでは再び色んな人に見てもらえない。
新規ファンが増えれば増えるほど、記事は過去に遡れば遡るほど見てもらえないことが往々にしてある。
SEO対策万全の、Google検索で手軽に引っ掛かるような記事なら勿論別だが...
そういった、Googleの検索にも引っ掛からない、時間の経過に埋もれてしまい、誰の目にも付かなくなった記事を再び掘り起こし見てもらうのが、この「リマスター記事」の意図である。
プレイレポートや毎話のアニメ感想など、日記的な記事を書いている人には勧めたい手法かもしれない。
また、過去の資産を”今の資産にアップデート”するだけではない。
蓄積、いうなれば記事の数も増やせたり、なかなかブログを更新できないほど忙しい時に手を抜けたりと、ゲスイ策略も同時に混在していたりする。
それは書いちゃダメだろ
リマスター記事の実例
記事がリマスターされることによって、どれほど変化を遂げているのか・・・
比較がこちら。
見づらければ画像をクリックしてもらえれば拡大できる。
分かりにくいかもしれないが、見出しのデザイン・文章・文字の配色等を再考しているのが伝わるだろうか。
リマスターといえど、実は7割ほどの文章を書き直しているので、実質リメイクなんだよなぁ...
まあゲームにおいても、「いやこれリマスターじゃなくてリメイクだろ...」と感じるほど、手が込んでるリマスター作品は腐るほどあるからね。
なおリマスター記事には、本文の最初に米印で注意書きが書かれている。
【リマスター記事】
「記事資本論」の提唱
過去に書いた記事を再利用しているブロガーなどそうそう居ない。
まだ考証段階に過ぎないが・・・
これは動画資本論ならぬ、「記事資本論」の提唱である。
...と、ここまで論理的に語って来たものの、
当初は「ゴミクズを量産していた旧ブログを捨てて新ブログに移行するに当たり、いくつか手ごたえのあった記事を、新ブログに持って来るための口実、またはそのシステム」だった。
それを後から、カッコつけた論理武装をしていると言えばそうかも知れない。
また、ブログ運営は基本的に記事とアクセスの蓄積であり、手を加えなくても過去に書いた記事がアクセスを稼いでくれるのがブログの長所だ。
だから記事のリマスターは、僕のように別の場所に過去の蓄積がある人にしか通用しない。
これが動画資本論との大きな違いであり、留意しなければならない点である。
それでは、全部嫌になった それさえも幸せな結末さ...
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