異種族の風〇をレビューする某アニメに倣って、僕が(全話)視聴したアニメをネタバレ有りでレビューしていく「アニメレビュアーズ」。
今回は、『おじゃる丸』『フルーツバスケット(旧)』の大地丙太郎監督によるオリジナルTVアニメ『今そこにいる僕』の感想・評価・レビューだ。
近年のネット情報によると、鬱アニメの中でも群を抜いて”鬱”だと聞いていたので、戦々恐々としながら視聴を開始した。
そして完走した感想から言えば、本作はまさに噂通りの内容であった...
『今、そこにいる僕』作品情報
放送時期 | 1999年10月-2000年1月 |
話数 | 全13話 |
ジャンル | SF/ファンタジー |
アニメーション制作 | AIC |
『今、そこにいる僕』あらすじ・PV
平凡な日々を生きるシュウは不思議な色の瞳を持つ少女、ララ・ルゥに出会う。
仲良くなった二人の前に奇怪な機械が現れ、ふたりは50億年後の未来へタイムスリップしてしまう。
そこは戦争が日常となっているすさみきった世界だった。
『今、そこにいる僕』スタッフ
企画:井上博明
監督:大地丙太郎
助監督:宮崎なぎさ、則座誠
シリーズ構成・脚本:倉田英之
キャラクターデザイン:大泉あつし
コンセプトデザイン:山﨑健志
総作画監督:西野理恵
美術監修:加藤浩
美術監督:野村正信、益城貴昌、京田邦晴
美術設定:佐藤正浩
色彩設計:秋山久美
撮影監督:斉藤秋男
編集:松村正宏、芝関美和子
音響監督:田中一也
音楽:岩崎琢
製作:AIC・パイオニアLDC
『今、そこにいる僕』キャスト(声優)
シュウ:岡村明美
ララ・ルゥ:名塚佳織
サラ:仲尾あづさ
ナブカ:今井由香
ブゥ:小西寛子
タブゥール:陶山章央
小田:鶴野恭子
スーン:齋藤彩夏
シス:松本梨香
アベリア:安原麗子
ハムド:石井康嗣
『今、そこにいる僕』評価
評価項目 | 作画 | 演出 | 音楽 | 声優 | ストーリー | キャラ | 設定・世界観 | 雰囲気 | 面白さ |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
点数 | 9 | 10 | 8 | 9 | 9 | 9 | 9 | 8 | 8 |
お気に入り度:★★★☆☆
オススメ度:★★★☆☆
最高の開幕
本作の物語は、昭和の日本で暮らす中学生(主人公)・シュウの”いつもの日常”が描かれるところから始まる。
この”いつもの日常”の描写がとにかく丁寧で、脚本の優秀さにまず感嘆してしまった。
たとえば、シュウが食べていた納豆を驚きのあまり吐き出し、向かいに座る父がその納豆を新聞紙でガードする。そんなアニメっぽいハイテンションな家庭の描写がある。
また、冒頭の剣道のシーンにて、深く考えずに真っすぐ突き進む――というシュウの性格を端的に紹介している。
これらの描写はすべて今後のための前フリであり、ただ惰性で日常描写を垂れ流しているわけではない。
そしてシュウは、ヘリウッドという50億年後の世界から訪れた、水の能力を持つ少女・ララルゥと出会い、色々あって50億年後の世界――
資源が枯れ果て荒み切った大地で、人々が戦争に明け暮れる世界に飛ばされてしまう。
ここで第1話が幕を閉じる。
劇中でかかる音楽は素晴らしく、それに釣られて、夕陽を浴びた昭和の街並みが醸し出すノスタルジックな雰囲気も最高だ。
それはまるで『こち亀』を観ているような感覚にもなり、完璧といえる第1話であった。
サラという名のいたいけな少女
第2話、シュウが殴られたり拷問されたり竹刀で戦ったりと激しい描写はあるが、それほど刺激的ではなかった。
そして第3話、シュウは拷問されたあとの檻の中で、ある金髪の少女に出会う。
名前は「サラ」。シュウの「コロッケ」という言葉に反応し、会話を進めるとララルゥと間違われて、同じ時代の地球(多分アメリカ)から連れ去られて来たことが発覚する。
最初は見知らぬ人と場所ばかりの世界に突然連れて来られた事実に怯え、シュウという男の子にも恐怖している様子だった。だが、彼女に軽やかな安堵が流れ、二人の距離も近くなる。
なんだ、可愛いヒロインじゃないか。シュウはララルゥにお熱だから、あくまでもララルゥがメインヒロインであろう。
だが僕は無口系ヒロインが好かないから、断然「サラ」派だね、うん。
設定や世界観が重苦しいだけで、展開や雰囲気はそこまで暗くはないし、本作が群を抜いた鬱アニメだとは思えなかった。
だから純粋に「面白いアニメだな」くらいに思っていたんだ、3話の途中までは。
絶句
第3話の中盤、シュウがまたもや拷問を受けている間、突如としてどこかに連れてかれるサラ。
その先にはキモいデブのおっさん!? そのおっさんが居る部屋にサラは強引に連れ込まれてしまう...
えっ!?!?!?!?
それからBパートに突入し、ずっと戦争の描写が続くんだけど、サラがあの後どうなったのか気が気ではなく、内容が全然頭に入って来なくなる。
そして終盤、拷問から解放されたシュウが目にしたのは、服が破られた状態で放心するサラだった...
あっ...(察し)(心的致命傷ダメージ)
シュウは子供だから何があったのかよく分からないけど、「大丈夫だよ」「生きていたら良いこともある」と必死に諭すが、無論サラには届かない。
この展開を受けて、第3話を観終わってからその日はマジで何も手につかなかったし、3日ほど落ち込んでいた...
エ〇漫画ならレイプする側に感情移入してるから良いんだけど(良いのか?)、本作に限ってはレイプされる側に感情移入してしまっていたから、死ぬほど胸糞が悪い。
同じ現代の地球からやって来た可愛い少女だからと、まんまと好きになってしまったのが全ての始まりだ。
流血や拷問などの暴力的な描写はまだしも、強姦はアカンって。ここまで描くか。
か弱い女の子を虐めるのは辞めたげて!
だが同時に、どこか興奮している自分も居たのはここだけの話だ。
続きゆくトラウマ
その後のサラの経緯(いきさつ)を簡潔に見ていこう。
第5話、ある時サラのハンカチを拾って渡してあげた「カザム」という優しそうな兵士の部屋へ強引に閉じ込められる。
この後、カザムがサラを襲ったか等の詳細は描かれない。
第6話、またしてもサラは性欲処理の玩具、というよりは赤ちゃん産み機として、兵士の部屋に連れ込まれて案の定襲われる。トラウマの再来。
だが、サラは部屋にあった道具・武器を使って必死に対抗し、兵士を殺害。
そしてヘリウッドを抜け出し、髪をバッサリ切って宛もなく逃避行するという激動の展開へ。
髪を切って女の子らしさを消すのは分かるのだが、無防備な姿で夜一人出歩くのは学んでないなぁ...
それからシュウとララルゥもヘリウッドを抜け出し、近くの村「ザリ・バース」でサラと再会する。
そこで、サラは初めて会ったララルゥに対し「あなたのせいで人生が狂わされた!」と馬乗りで殴りにかかる。
えげつないシーンだ。このセリフ、この行動にサラの想い全部が詰まっている。観るに堪えなかった。
それから更にえげつないことに…サラの妊娠が発覚\(^o^)/
本人に聞こえないよう大人たちが裏で話していたのに、シュウが大声を出してしまって本人がその事実を知る――という演出が、より凄惨な運命を際立たせていた。
まだ制作陣はか弱い少女をリンチするのね。泣きたくもなるわ。
サラはショックのあまり後日、自殺して命を絶とうとしたり、自らのお腹を石で殴って赤ちゃんを殺そうとしたりする。
だが、シュウに「死ぬな!」と強い思いで阻止されて、死ぬことすら赦してもらえない。もう辛すぎて草。
シュウはいつだって当たり前の正論を言う。この戦争に染まった世界で、唯一戦争に染まらなかった存在だから。
だが、そのバカ正直な子供らしさと、折れない真っすぐすぎる元気さから出る言動は、無責任な綺麗事になってしまい、時には他人を深く傷つけてしまうのだ。
この誰にもどうする事もできない状況を作り出し、けれどどんな状況でもキャラクターの性格が貫かれているのが本当に素晴らしいと思う。”キャラブレ”とは50億年遠い。
第12話、ヘリウッドからスパイとしてやって来た「ガザム」に、サラは接触してしまう。
ガザムは、ここ(ザリ・バース)は戦火で平地になるから一緒に逃げよう、と誘う。
だがサラは「何でここにあなたが…?」と戸惑いを隠しきれず、めいいっぱいの拒絶を示す。視聴者側にとってもトラウマの再来である。
第13話、ザリ・バースがヘリウッドに攻められ、再び拉致されたシュウやララルゥやサラたち。
しかしシュウは檻から脱獄し、ララルゥを助けにいく。ララルゥもまた強力な水の能力を使って、ヘリウッドを内部から破壊する。
ヘリウッドが落下する中、サラはザリ・バースの子供たちを守るが、一人流されてしまった子供を「カザム」が救い、サラへと託して流されていく...
この1シーンが本当に良かった。
おそらく「カザム」はサラが身ごもっている子供の父親なのだろう(第5話でサラに手を出したってこと)。
カザムはサラに一切手を出しておらず、第3話のキモイおっさんが父親という解釈もできるだろう。
けれどカザムは、お人よしだが軍紀の命令には嫌々でも絶対に従う人物として描かれており、不本意ながらも半ば強引に手を出したのでは?...と。
だから第12話の再会で、サラはほのかに拒絶反応を示したし、この展開を経て”最後の決断”に至ったのではないか。僕はこういう解釈だ。
そしてその”最後の決断”とは...
赤ちゃんをこの世界で産み、この世界で生きてみようと決意するというものだった。
結局人は、前を向いて歩くしかないのだろう。過去を悔いたり、理不尽を思い返したりしても無駄。
そんなメッセージすら隠されているように思う。悲しすぎるよ(脳内BGM:ルナシーのⅠ for you)。
エグすぎる戦争の描写
ここまでは主に、というかほとんど、強姦されたサラのドラマについて触れてきた。
実際の戦争でも無論”強姦事件”は起きているし、それをアニメで描くのもエグい。
同じく”戦争”をテーマに扱った『ガンダム』や『進撃の巨人』などの偉大な作品だって描いてないくらいだもの。
だが、ストレートな戦争の描写にもエグいものが沢山あった。
まず、主なキャラクターであるナブカ、ブゥ、タブゥールを含むヘリウッドの兵士は、ほとんどがまだ幼き子供だ。
まるでアフリカの紛争地で銃を手にする「こども兵士」を連想させる。
彼らは洗脳されて、厳しい訓練を受けて、残酷な戦地に駆り出されては文明を壊し、人を殺す存在だ。
だが物語上では、シュウに惑わされるように、ナブカやブゥの気持ちが揺れ動いていく。
「なぜ私たちは戦っているのか?」「なぜ人を殺さなきゃいけないのか?」「戦いが終わったら本当に帰れるのか?」
一番幼く考えが凝り固まってないブゥは崩れるのが早く、最初は強く敵対していたのに、度々シュウを助けるようになった。
一番の鉄壁に感じられたナブカも、ついには第7話でシュウとララルゥを逃がす。
一方タブゥールは、戦地で実績を重ねてヘリウッドでの地位を確立し、ヘリウッドに守られて暮らすのが最善策だと考え、戦争を繰り広げる世界観に傾倒していく。
こうやってダムドのような排他的な独裁者が生まれていくのだな、と恐怖すら感じた。
第9話、ヘリウッドから逃げてきたシュウとララルゥはザリ・バースにて、「お父さんが帰って来ない」と嘆き、ずっとお父さんの帰りを待つ少女・スーンと出会う。
その子は、第5話でヘリウッドを襲い、ナブカの手によって射殺された暗殺者の娘だった...
シュウはその撃たれた暗殺者の救命活動を必死に試みたが無駄に終わった。そんな細かい演出も、ここで効いてくる。
そして第12話以降、ヘリウッドがザリ・バースに侵攻する。
かつて自分たちが故郷を襲われて兵士にさせられたように、今度は兵士の側から村を子供たちを襲う。
この「歴史は繰り返される」戦争の見せかたが酷く上手いなと思う。
遂には、シュウが子供たちと隠れていた所にナブカが襲撃。
戦時下で綺麗事は通じないし、殺らなければ殺られると分かっているが、シュウや子供たちをどうしても撃てない。
そこに、落ちていた銃を持って背後から這いよるスーンの姿が。その気配に気付いたブゥはナブカを庇い、スーンの銃弾を喰らって死んでしまう。
そしてブゥの死に憤ったナブカは、すぐさま銃でスーンを射殺する。
このシーンは、戦争(紛争)の残酷さを最も酷く見せていたのではないだろうか。こんなにもエグく、それでいて生々しく描くか。
少年兵の葛藤や子供たちのドラマは、痛々しい”戦争”を描くにおいてとても重要な要素だった。
まあ一番エグいのは、本作が『ポケモン』の裏番組として平日夕方に放送されていたTVアニメ、という事実だけどね!
納得ができてない結末
最終回、僕は水が溢れ出るように涙と感動に包まれた。
艱難辛苦を耐え抜いた先の”カタルシス”というやつが結晶となり、涙として実体化したのだろう。
だがしかし、結末にはあまり納得ができてない。
本作の結末とは、水の能力を使い果たしたララルゥとお別れをし、主人公・シュウが現世に帰り、サラは50億年後の世界に残るというもの。
どうしてシュウとサラの生き方が分かれてしまう?
シュウが戦争とは程遠い平和な現世に帰るのなら、50億年後の世界にいる子供たちが取り残された気がしてならない。平和な現世に連れて行ってあげろよと。
現世から訪れたシュウは50億年後の世界では異分子だから、元居た場所(生まれて育った時代)に帰り、すべてを元通りにするという事か?
だとしたら、同じく現世から訪れたサラは、なぜ元居た場所、平和な現代、安心安全な家族のもとへと帰らない。
50億年後の世界で子供を授かったから、このまま50億年後の世界(現世より今後平和とは言いきれない)で生きて死ぬ。極端な人生選択だな。
僕だったら絶対現世に帰るし、物語を書く立場なら二人とも50億年後の世界に残す。
...などと考えてモヤモヤっとしてしまい、僕にはなんだか納得ができなかった。
また、転生先が「50億年後」の世界という設定にも、実は納得が行ってない。
地球が誕生して46億年、人類が生まれてからはまだ1000万年も経ってないのだから、「50億年後」なんてそこに人類が居るかどうかという考えすら追い付かない領域である。
妥当なのは1000年先、百歩譲っても1万年先。
この設定はおそらく、果てしない未来だったらいつでも良かったのだろうが、あまりにも果てしなさすぎる。
だが、戦争をここまでアニメでリアルに描いているのだから、大枠の設定なんてもうどうでもいいじゃん、と言ってしまえばそれまでである。
しかし読後感はまさしく”戦後”のよう。
悪の根源は解決されて平和は訪れたが、奪われたものは大きいし、失ったものは二度と帰って来ない。
後味は良いとも悪いとも言えず、視聴中に受けた精神的ダメージは癒されようが完璧には消えない。
アニメだから所詮作り物なのに、リアリティがあり過ぎて、事実と同じくらい重く受け止めてしまう。
サラがPTSDを発症したように、僕もこの作品がトラウマとして刻まれた(タイトル回収)。
ハムドの怪演と、嫌悪感の矛先
キャスト陣の熱がこもった演技が素晴らしい。
とくにヘリウッドの王・ハムドを演じる石井康嗣さんの怪演には恐れ入った。
冷静な理性をもつ権力者と、感情的で暴力的な凶(狂)悪人の二面性を持ち、サイコパスとしか形容できない男をみごと演じ切っている。印象は強烈だ。
本作のラスボス的立ち位置で、すべての元凶であるが、僕はあまり嫌悪感を抱かなかった。
それよりも50億年後の世界や、人間という生き物の愚かさといった根源的な所に絶望し、激しく嫌悪感を抱いたんだよね。
転生先の倫理観や世界観そのものは大っ嫌いだ。もし50億年後の人類がこうなるのなら、人類は早々に滅びた方が良い。
まとめ:リアルな紛争を描いた衝撃作
脚本、作画、演出、音楽...すべてが懇切丁寧であり、素晴らしいアニメである。
だが、これまでに観てきたアニメのなかでもトップクラスに入るほどショッキングだった。
だからこの作品が好きな自分と嫌いな自分の2人が存在し、いくら素晴らしくても素直に名作だと称えることができない自分が居る...
(強姦されるサラに胸糞が悪くなる自分と、興奮する自分が居るようにね…)
今のチープな異世界転生モノとは何もかも違う、20年前のダウナーな異世界転生アニメ。
最新のアニメばかり観ているアニメ好きにこそ観てほしいが、トラウマになりかねないから観ない方がいいぜ…とも思ったり。
刺激的な戦争の描写は数え切れないほどあったけど、終わってみればサラのことしか頭に残ってないw
この記事がメインテーマの戦争やメインヒロイン・ララルゥにあまり触れず、サラについてばかり触れている時点でお察しだろうがw
ただただ、サラの幸せを祈り、サラを想うばかり。それだけだよ。