異種族の風〇をレビューする某アニメに倣って、僕が(全話)視聴したアニメをネタバレ有りでレビューしていく「アニメレビュアーズ」。
今回は、放送から20年以上にも渡って未だカルト的人気を誇るTVアニメ『serial experiments lain(レイン)』の感想・評価・レビュー。
決して「光」側の作品ではないが、「影」の側では”鬱アニメ”としてかなり有名な作品だ。
PS1で発売されたゲーム版は5万円以上の値が付く屈指のプレミア価格ゲーであり、アニメファンに留まらず、ゲームファンの間でも知られている。
僕は随分前にアニメに触れたのだが、なぜか7話で視聴が途切れてしまい、いつか最後まで観ようと心に決めていた。
そこに、2021年8月をもって「dアニメストア」での配信が終了するとの一報が。
この夏が過ぎたら観る機会を失ってしまう!配信が終わるまでに観るしかない!
…と踏ん切りがつき、また1話から観始めて数日で完走したのだった。
という訳で『serial experiments lain』をレビューして行こう。
『serial experiments lain』作品情報
放送時期 | 1998年7月-9月 |
話数 | 全13話 |
ジャンル | SF/ホラー |
アニメーション制作 | トライアングルスタッフ |
『serial experiments lain』あらすじ・PV
ネット端末「NAVI」が普及する世界。
中学生の岩倉玲音は、死んだはずの四方田千砂からのメールを受け取ったことをきっかけにNAVIへとのめりこんでいく。それ以来彼女は奇怪な事件に巻き込まれ…。
物理世界と電脳世界、2つの世界の果てにあるものとは?
『serial experiments lain』スタッフ
企画・原案:Production 2nd
監督:中村隆太郎
脚本:小中千昭
キャラクターデザイン原案:安倍吉俊
キャラクターデザイン:岸田隆宏
制作協力:GENCO
製作:GENEON ENTERTAINMENT
『serial experiments lain』キャスト(声優)
岩倉玲音:清水香里
父・岩倉康雄:大林隆之介
母・岩倉美穂:五十嵐麗
姉・岩倉美香:川澄綾子
瑞城ありす:浅田葉子
山本麗華:手塚ちはる
加藤樹莉:水野愛日
四方田千砂:武藤寿美
『serial experiments lain』評価
評価項目 | 作画 | 演出 | 音楽 | 声優 | ストーリー | キャラ | 設定・世界観 | 雰囲気 | 面白さ |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
点数 | 8 | 9 | 8 | 6 | 9 | 7 | 10 | 9 | 8 |
お気に入り度:★★★☆☆
オススメ度:★★★☆☆
ファーストインプレッションとアンサーまでのプロセス
このアニメの印象と感想は、最後の2話でがらりと変わった。
11話までは、面白いけれど全然分からない。
一切説明がない突発的な世界観の描写、スローテンポで前後が繋がらない展開の数々、理解不能なキャラクターの言動、独特の間をもつ会話、ホラーチックな演出、電柱が映されるたびに効果音、陰鬱とした絵柄と雰囲気...すべてが謎。
「どういう事だ」「だから何だ」「何がしたいんだ」…そんな感想が渦巻き、遠回しに冷たく伝えてくる制作陣と自分の理解力・思考力の愚かさに苛立っていたくらいだ。
11話の前半がこれまでのダイジェストだったのも退屈だった。
しかし12話、本作の唯一の良心にして友人?のありすが玲音のもとへ駆けつけ、玲音と対話するシーンで何だかほっこりしてしまった(ありすは英利政美を怖がり、玲音も拒絶していたが…)。
続く13話で世界がリセット?されてから、本作で初めて明るいBGMが流れた。そこで「あれ?こんなにも温かい作品だったか?」と思った。
そして最後の最後、玲音と大人ありすが出会うシーンを観て、これまでにあった視聴中のモヤモヤとか、何かも全部が吹っ切れた。
救いようはあったし、明るい未来が提示された。全然”鬱”なんかじゃないと。
1話~11話の冷たい流れや、全体的な鬱屈とした雰囲気という先入観に囚われて、どうやら僕は難しく考え過ぎていたらしい。
そのことに最後まで観てようやく気が付いた。いや、最後まで観なければ気付けなかっただろう。
僕の解釈:たったそれだけの話
ワイヤード(=インターネットの世界)とリアルワールドを融合するでも、
ワイヤードをリアルワールドの上層世界にするでもなく、
ワイヤードはリアルワールドの補完として存在するべき
…という、本当はたったそれだけの、ものすごく単純な話だったのだ。
玲音がもう一人誕生しただとか、気が狂った人殺しが出ただとか、ありすのプライベートが暴かれただとか、そういう常識的に不可解な展開は、ワイヤードとリアルワールドの境界線が消えかけるときのノイズ・バグに過ぎない。
ワイヤード上で描かれたlainは、アニメなりの主人公・玲音の心情表現でしかない。
玲音はワイヤードで生まれ、ホログラムとしてリアルワールドに肉体を授かった存在なので、最後には自己犠牲をもって誰も傷つかない「ワイヤードはリアルワールドの補完として存在する」世界を創世する。悲しいよ。
本編で恐ろしいものとして万遍なく描かれていたのは、ワイヤードとリアルワールド、つまりインターネットと現実の境界線を無くして融合すること。
おそらく今よりもっと先の果てしない未来を描いているのかもしれない。
制作された1998年どころか、今の「Web3.0」だとか言われている2021年でも充分早すぎる。
恐ろしく深くて新しいアニメだ。
でも考察なんてしなくていい、深読みなんてしなくていい、観て受け取った全てだけでいい。
だって最初から分からないように作られていたのだもの。どれだけ思考を巡らせても完璧に理解など恒久的に不可能で当然なのである。
僕の脳内の記録にも「lain」が偏在するのだから、それが間違っているか否かすらも問題にはなり得ない。
これが僕の解釈、僕なりの感想、僕の中の「lain」。
まとめ:あまりにも時代を先取りしすぎた実験的作品
1995年に『新世紀エヴァンゲリオン』が大ヒットし、バブル崩壊や世紀末などで社会不安が増大していた時代だからこそ作れた、いや実験できた作品だったと思う(ちなみにタイトルを日本語直訳すると「ひと続きの実験・lain」)。
その作品はその時代にしか作れないのは当たり前だが、この作品ほど「その時代じゃなきゃ…」と思った作品は無い。
だが、やっている事はあまりにも先を行きすぎているが。
いつかこのような世界が訪れるのだろうか?
閑話休題。インターネットが一般的に普及した2021年に観た、デジタルネイティブ世代である21世紀生まれの僕には、どうしても刺激が強くはなかった。
けれど、一部で集中的に熱狂的な根強いファンがいる、すなわちカルト的人気を誇るのも理解ができる。
本当にコアでマニアックな人だけにヘッドショットが当たる作品。リアルタイムで観たオタクこそが強烈な衝撃を受けたに違いない。
それでも僕は「lain」が好きだよ。